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皆さんこんにちは。
さて、今私はある小説を執筆中なのですが、その執筆中の小説の中で主人公の過去回想を書いています。
その小説は当然フィクションなのですが、主人公のモデルは未来の僕で、その主人公が回想するのは当然僕の過去です。
その過去回想記のモデルは僕自身の18才から19才の一年間。
その一年間は僕の人生の中で一番楽しかった一年で、二度と経験することのできない一年間でした。

小説としてフィクションで書きはじめたのですが、どんなに頭の中で物語を考えてもあの一年を超えるほどのものを書くことができません。

なのでほぼ、事実を元にノンフィクションで書いていると短編小説が書けてしまい、自分でびっくりしています。
当然、もともとのメインの話の振りなので、書きあがった文章とメインの文章をすり合わせて、矛盾なくつながるように手を加えていかなければいけないのですが、その作業をするまえに、今回ここにUPしてみようと考えました。

前回の「恋の予感」シリーズにおいて、読者様からまた過去回想やって欲しいとの要望もありましたし(笑)

私のアイデンティティが形成された一年間を読んでみていただけると、とても嬉しいな。

今回はその一年間の前半部分です。

(本気小説なので長いよ(爆))
ここのところずっと降り続いてた雨がようやく4日ぶりに上がった日曜日の午後。僕は京都駅からほど近いファミレスにいた。昨日飲みすぎたためか、随分とのどが渇く。僕はメニューと一緒に出された水を一気に飲み干して腕時計を見た。三時四十分を少し過ぎている。

「何時の新幹線だっけ?」

僕が時計から顔を上げると、トイレに行っていた直人がテーブルの向かいに座りなおしているところだった。

「二十時十五分」

「そっか。あと五時間近くあるな」

そう言って直人は笑った。

こいつの名前は里見直人。現在ピカピカの一年生。ただし学生ではなく社会人の方だ。こいつと出会ったのは今から5年前の予備校の寮だった。

僕たちは同じ高校だったのだが、僕はほとんど学校には行かずに遊びまくるお荷物生徒だったのに対し、直人の方は県内でも有数の進学校といわれるうちの高校でも、特別進学クラス、通称「特進」と呼ばれる学校内でトップの成績者だけを集めたクラスの生徒だった。そんな僕達が学校内で出会うはずが無い。

そして働くことなどまっぴらごめんだという理由で、大学を受験した僕を受け入れてくれる大学などあるはずもなく、とにかく働きたくない一心で親に頼み込んで浪人の許可をもらった僕なのだが、条件として無理やり寮という名の監獄へ閉じ込められてしまった。

直人の方は医学部を目指して日々勉強に明け暮れていたのだが、やはりいくら特進といえども国立大学医学部は狭き門だったようで、一年間勉強だけに専念したいと自分から志願して監獄予備校の異名を持つ寮へと入寮してきたのだった。

その時直人から「あれ?長澤君じゃない?」と声をかけられ、なぜ僕の名前を知っているのかと聞いたところ「同じ高校だったけど俺のこと知らない?」と逆に聞き返されてしまった。正直に「知らない」と答えると、直人は少し寂しそうな顔で笑った。その顔を見て悪いことを言ったと反省したのを覚えている。

僕はあまり他人と深く関わるのが得意ではなく、中学の時も高校の時も自分をさらけだすことが無かったためか、卒業と同時に交友関係も終わってしまっていたのだが、同じ釜の飯という言葉通り、その寮でふた月も過ごす頃になると、僕はそれまでの自分がまるで嘘のように自分をさらけだすようになっていて、受験を終えて退寮する頃には、こうして五年たった今でも年に数回は会うような友達が何人もできていた。

「決まった?」

直人がメニューの束をテーブルに置きながら聞いた。

「ああ。飲みすぎてあんまり食欲がないからな。トマトソースのパスタとドリンクバーでいいや」

直人が笑いながらテーブルに設置されたボタンを押すと店内に「ピンポーン」とかん高いブザーが鳴り、すぐに若い女性の店員が注文を取りに来た。

直人がオムライスとパスタとドリンクバー二つを注文すると、店員はリモコンを押しながらマニュアル化された口調と言葉でドリンクバーの説明をする。その説明をひととおり聞き終わったあと、僕は彼女にメニューを渡してやった。

彼女は僕の目を見てにっこりと笑って軽く頭をさげると、他のテーブルを片付けにいった。

その様子を見ていた直人がニヤニヤしながら僕をからかう。

「さすが神坂の鬼頭タカ。目だけで女を落とせるのか」

「何がだよ」

僕は五年前にさらけだしすぎた自分を呪いながら反論した。

「あれは若気のいたりだ。そして頼むからそんなAV男優の名前をこんな所で大声で出さないでくれ。俺たちはもう二十三だぞ」

直人は自分の声の大きさに気づいたのか、いくらか声のトーンを落としてさらに突っ込む。

「いやいや、神坂寮の生ける伝説と呼ばれた長澤さんには、ほんとに女性のイロハを教えていただきました」

「なんだそれは。俺は何も教えてないし、そもそも勝手に伝説なんかにするんじゃねえよ」

「忘れたなら思い出させてやろうか?確かミカちゃんだったっけ?」

あれから五年もたった今、その名前を覚えている直人の記憶力に素直に感嘆した。

「よく覚えてるな。もう五年前だぞ」

「あれはひどかった。確か中山が絡んでたんだっけ?あ、飲み物取ってくるよ。長澤、何飲む?」

そう言って直人は立ち上がった。

「オレンジジュースがいいな。サンキュ」

「了解」

直人の後姿を見送りながら僕の頭は五年前を思い返していた。

懐かしい。あれからもう五年もたったのか。

内藤美香は、僕が予備校時代に付き合った女の子だ。

浪人生が何をやってるんだと言われそうだが、僕達は声を大にして反論する。

女と恋愛でもしてないと精神が崩壊するのだ。

僕達が一年を共に過ごしたその寮は本当に規則が厳しくて、起床は朝六時。門限は小学生でもありえない夕方五時。消灯は夜十一時。テレビもなければパソコンもない。漫画も禁止。

冷暖房設備などあるはずもなく、三畳という閉塞感たっぷりの部屋にあるのは、硬いベッドと教室にあるのと同じ机と椅子。それと壊れかけたハンガーラックのみ。

あげくの果てにはエロ本まで禁止という鬼っぷり。その規則を破ればヤクザ顔負けの、寮長という肩書きを持ったクマに締め上げられるという悶絶の罰ゲームが待っている。

つまり寮で過ごす時間は修行の時間であり、そんな一年を過ごした僕たちはもはや友達というより、その修行を共に乗り越えた同志なのだ。

そんな僕たちが唯一ハメをはずせるのが予備校という名の楽園である。

寮で出されるクソまずい朝飯を食い終わると夕方五時までのリフレッシュタイムが始まる。

なぜならば一歩寮の外に出れば女がいるから。

本来ならば苦しい場所であるはずの予備校に、一日の修行を終えた僕たちのこぐ自転車のペダルは軽い。そして一歩ゲートをくぐったそこは、もはやパラダイスである。

なんせ僕たちが暮らす国は、エロ本まで禁止という法律があるのだ。

十九歳の健全な男子が生きていける環境ではない。

クマにおびえながら監獄という閉ざされた空間の中でエロ本(バーチャル)を相手に自家発電する道を選ぶか、自由という名の澄んだ空気の中で獲物(リアル)を相手に真剣勝負するかの選択を現実問題として突きつけられたとき、僕が選んだのが後者だっただけの話なのだが、おかげで寮内で僕は伝説になってしまった。

今思うとなんだか情けない伝説だが、当時はそれ以外を選ぶ余地は僕には残されていなかった。

「結局ミカちゃんも長澤の餌食になったんだよな?」

オレンジジュースを僕の前に置きながら直人が目だけで笑いながら先を促す。

僕はあきらめて直人の望む答えを返してやった。

「そうだよ。中山のアホに売られたケンカを買っただけだ」

内藤内科。それが美香の実家だった。そこは美香のおじいちゃんが開業して現在二代目のお父さんが診療している開業内科で、美香はそこの一人娘だった。

そんな家庭環境から美香は幼い頃から医者になることを背負って生きてきたのだと、自分が医者になることが家族の願いであり、それが自分の夢なのだと彼女はいつか僕に話した。

僕と美香は予備校の授業が始まる前から話をするようになっていた。

当然そこは予備校という性質上、厳しい学力世界がある。

医学部へ合格するためにまじめに学校の授業を受けてなお、それだけでは足りないと塾へと通い、高校での三年間まじめに勉学に励んだ直人や美香のような生徒と、僕のようにろくに学校にも行かず、夜中にバイクを乗り回し、悪友の家でたむろしては朝帰りをしていた生徒が同じ授業を受けられるはずがない。というかそんな授業を受けても意味がない。

そこで僕達は入学する前に、クラス編成テストという名のふるいにかけられる。

その春入学する生徒の中で、国立理系を志望する数百人がいっせいに集まったテスト会場で、たまたま僕の隣に座ったのが美香だった。

そのテストはマーク式で、設問に対する答えを四択の中から選び、解答用紙の番号を塗りつぶすというものだった。

理系を志望した僕は数学、英語、化学、物理、を一時間単位で受けていく。高校生活のすべてをバイクと女にかけていた僕は、最初の数学の設問一で問われた内容の意味すら理解できなかった。その内容はこうだ。

次の式を因数分解せよ。

因数分解とは高校一年の一学期に学ぶ高校数学において基本中の基本であり、この因数分解を使用してさまざまな計算や証明を行うのだが、当時の僕には日本語ですらなかった。

因数って何?というレベルである。

救いだったのが、このテストがマーク式だったことだ。つまり0点はありえない。

なぜならば設問の後にはすでに正しい答えと一つと、正しそうな答えが三つあり、正しいものを選べばいいだけ。

ほんとにひどい。無知とはそれだけで罪である。

しかし、この時の僕は本気でそんな風に考えて、設問などすっ飛ばして、正しい答えを選ぶことに集中した。

そして試験開始から三十分ですべての問題を「解き終わった」僕はすることがなくなったので、机の上に突っ伏して寝てしまうという有様だった。

しかし、この時、幸運にもそんな僕をしょっぱなから更正させる事件が起こった。

それは数学のテストが終わった休憩時間だった。

僕は隣に座っていた一人の女の子によってゆり起こされる。

「あの、すみません」

寝ている僕を遠慮がちにゆすりながらその人は僕に声をかけた。

「えと、解答用紙を集めたいんですけど……」

とても優しそうな印象を受ける声だった。

僕は寝ぼけたままのマヌケな声で「ああ…」と言いながら彼女に解答用紙を渡した。

彼女はその解答用紙を受け取ると目の前にある自分の解答用紙の上に重ねて、前に座る受験者に渡した。

僕としたことがなんたる醜態。隣にこんなにかわいい女の子がいるのに気がつかなかったとは。

そして改めてさりげなさを装いながら彼女を観察する。

彼女はとてもかわいらしかった。

クリーム色のハイネックのセーターと洗いざらしの細身のジーンズをはいている。

肩甲骨の辺りまである少しウェーブのかかった髪の毛は真っ黒で、うつむき加減の横顔にそれがとても似合っていた。全体的に清楚な感じがして育ちのよさを感じさせる。それはまるで垢抜けたお嬢様といった雰囲気だった。

僕の視線に気がついたのか、その子が僕の方を見た。

彼女の左側に座っている僕からは見えなかったが、上唇の右上に小さなホクロがあってそれが彼女をとても大人っぽく見せた。

僕と目が合うと、彼女は少しだけ微笑みながら言った。

「数学どうでした?簡単でしたか?なんだかすぐ終わっちゃったみたいだけど……」

彼女の目はとても印象的だった。

小動物を思わせるようなくりくりとした目で、ぱっちりとした二重ではないけれど、奥二重というほどでもない。そんなかわいらしい形とは不釣合いなほど、瞳の色はどこまでも真っ黒で、綺麗だった。

「ああ。うん。マークだからね」

僕は「すぐ終わっちゃった」に対する答えのつもりで言ったのだが、彼女は「簡単でしたか?」に対する答えだと勘違いしたらしく、とんでもないボールが返ってきた。

「すごいですね。あたし数学にはちょっと自信あったんですけど、あのベクトル方程式でつまっちゃって……。あれってどうやって解くんですか?」

因数分解すら理解してない僕には当然ベクトル方程式など宇宙語も同然である。

僕は答えに窮してしまい黙っていることしかできずにいると、そんな僕を見た彼女はまたしても勘違いしたらしくすまなそうに言った。

「あ、馴れ馴れしくてごめんなさい。あたし内藤美香って言います。テスト頑張りましょうね」

まさに負の連鎖である。

僕は、どちらかというと社交的な方で、思いつきでそれなりにしゃべっているだけでも会話が成立していたのだが、会話のキャッチボールができなかったのはこれが生まれて初めてのことだった。

その日、それきり僕たちは一言も会話をすることはなかったけれど、僕はマークを適当に塗りつぶしたあとは、机に突っ伏して彼女を見ていた。彼女はとてもかわいくて僕の好みの女の子だったけれど、僕が彼女を見ていたのは今まで出会ったことのない未知の生物への純粋な興味の方が大きかった。

なぜなら、今まで僕が付き合っていた人間は、タバコを吸い、バイクに乗って真夜中の道路をレーサー気取りでかっ飛ばし、それこそ「明日の風は明日吹く。今を楽しむことが人生を楽しむことだ」なんてことを疑いもなく言っているような奴らばっかりだったからだ。

そんな僕にとって内藤美香という存在は僕の中で未開の地だった。

僕はクラス編成テストを受け終わったその日の夜になっても、まだ内藤美香のことを考えていた。
いや、内藤美香のことというよりも、もっと大きな枠で物事を考えていたと言った方が正しいかもしれない。僕は内心とてもあせっていたのだと思う。

今まで、正しいと思ってやってきたことが、ここではまるで意味を持たないという現実を突きつけられて、僕の心はぐるぐると深い森の中をさまよっていた。

そんな思考の森を抜け出したのは、夜九時を回ったあたりだった。

皮肉にもその森を抜け出すきっかけとなったのが、高校時代、僕と一緒に高校にも行かずに夜中じゅう遊んでいた奴からの一通のメールだった。

「元気か?お前にそんな生活無理だろ?早く帰って来いよ。今、亮介と沙紀と美鈴と一緒にカラオケ来てる。盛り上がってるぞぉ」

このメールを見た瞬間、僕は参考書を抱えて自習室へと向かった。

僕の頭はそのメールに対してきっぱりと拒否反応をおこしたのだ。

なぜだかは分からない。それでも

「違う!そこは俺の場所じゃない!」

と、僕の心に住むもう一人の自分が僕だけに届く声でそう叫んだ。

今思うと、そのもう一人の僕は高校三年間もずっとそんな風に叫び続けていたに違いなかった。

それでも僕はその声を無視し続けたのだ。

楽な方に流されることが楽しいことだと勘違いして。

僕は自習室へと向かいながら「今」の自分と正確に向き合うことがようやくできた。

ここではカラオケを上手く歌うことも、麻雀が強いことも、時速100キロで赤信号に突っ込むことですらまったくの無価値だ。

ここで意味のあることは、それまで無意味だと思っていた因数分解を解き、ベクトル方程式を理解し、塩が水に溶ける容量を計算し、救急車のサイレンの聞こえ方が位置によって違うことを訳の分からない公式を使って証明し、さらに日本人であるにも関わらず外国語を理解することなのだ。

その夜、その事実を受け入れた僕は、寮の固いベッドで初めてぐっすりと眠った。

それから五日後に発表されたクラス編成の結果は予想通りだった。

それぞれのコースを表すアルファベットを先頭にして、その後に続く数字が各々の実力を表す。

国立理系はF‐1を先頭に十一クラスに分けられ、僕は当然F‐11。直人はF‐2で内藤美香はF‐3という結果だった。

当然最後までこのクラスというわけではなく、定期的に行われる構内模試の結果いかんでクラスは入れ替わる。

なぜ国立理系がFなのかは分からなかったが、僕は国立理系を表すこのFの頭文字が気に入った。フォーミュラーと同じ頭文字。四輪最高峰のフォーミュラーワン。そのたった二十個しかないシートを目指して世界中のレーサーがしのぎを削る。僕にとってこれはF-1と同じだった。

ここでは今の僕は負け組みだ。それはどうすることもできない事実で、それを素直に受け入れる。でも負けっぱなしは嫌だった。僕はかなりの負けず嫌いなのだ。何より自分に負けるのが耐えられなかった。

その日から僕は、少しずつ寮と予備校で新しい友達を増やしながら来る日も来る日も勉強に明け暮れた。それこそ気が狂ったのかというくらいだった。

朝六時が起床なのだが、五時には起き出して英単語を詰め込み、予備校で授業を受けた後は、門限が五時であろうが四時には寮へと戻り、風呂と飯をすませたあとは、山ほどの参考書と問題集を抱えて自習室へと向かう。そして消灯時間ぎりぎりまで数式や公式と格闘して消灯時間と同時に爆睡というサイクルを繰り返した。

そんな毎日が僕にとってはとても新鮮だった。もともと何も入っていない乾いたスポンジのような脳みそなので、勉強すればするほど、どんどんと吸収していくのが実感できて、それが面白かった。

そして何より環境が僕には本当に合っていたと思う。今こんな環境に入れられたらそれこそ三日で発狂するのは目に見えているが、この時は八十人の寮生全員が浪人生で、来春からの華やかな大学生活を夢見ていたのだ。そんな僕達はお互いがお互いを刺激し合って、例えば、僕が五時間自習室から動かなければ、僕の隣に座った奴も五時間自習室から動かなかった。

そんな生活が二ヵ月程過ぎた時、僕はF‐8のクラスにいた。

そして、この頃から僕の生活に少しずつ変化が現れ始めたのだった。

二ヵ月も寝食を共にしていると、お互いに色んな話をするようになる。趣味や夢、得意な教科や苦手な教科、高校での生活のこと、家族のことや友達のことなどを勉強の息抜きとして語り合った。

そんな風に他人と深く自分自身のことを語ることなどそれまで経験したことがなくて、最初は全然うまく自分を話すことができなかったけど、それはここにいる奴らも同じだった。

でも慣れてくると、それが快感に変わった。僕が語れば語るほど、友達は増えていくし、その友達も語るようになる。自分とはまったく違う生き方をしてきた奴らの話を聞くことはとても面白かった。

僕たちは食事の時間や風呂の時間や就寝前の歯磨きの時間などを使って毎日語り合うようになっていた。

そしてその中でも、とにかく最重要事項として取り上げられたのは、この寮生活においての死活問題であるあの話だった。

そう、それは男やもめのこの生活において至極当然の話なのだが、とにかく女の情報である。

例えば、誰かが私立文系の島田という女は胸がでかいという情報を持ってくれば、次の日の夜には会議に参加していた奴全員が、きっちりとその女の顔の特徴まで正確に把握している。

共産国家で暮らす僕達は国家権力によってバーチャルを封殺されていたので、そんなささやかなリアルの楽しみが至高の快楽だった。

そして、そんなある日の放課後に僕は気がついてしまったのだ。

今のリアルの快楽をより至高のものにする方法を。

その日、数学の授業の終わりに宿題として一枚のプリントが配られた。そのプリントは過去問を扱った数列の問題で、正直かなり難しい問題だった。そして悪いことに、その問題の担当者を先生が指名して、翌日の授業が始まるまでに黒板を使って解答を書いておけと言ったのだ。

僕は自分の当てられた問題を見た。

(よかった……。まだなんとかなりそうな問題だ。センター試験からの出題だし、分からなければ直人あたりに聞けば問題ないだろう)

僕が内心ほっとしていたその時、隣から悲痛なささやきが聞こえてきた。

「とうしよう……。あたしこんな問題絶対に解けないんだけど。何、岡山大学理学部って。そんな問題解けるなら浪人なんかしてないよ……」

僕の口は頭で考えるより先に動いた。

「横山さん、最後の問題の担当なんだ……。俺も頑張って解いてみるから、もし明日までに解けなかったら言って」

「長澤くん、数列得意なの?てか、あたし明日までに絶対に解けない自信があるんだけど」

「分かった。じゃあ明日までに頑張って解いてみるよ」

その日、僕が寮の自習室にこもり必死で数列の問題と格闘したのは言うまでもない。

それでも岡山大学理学部はあまりにも強敵で、僕は自力での解答をさっさと諦めて、リーサルウエポンを使うことを決めた。

自習室を見渡すと、いつもと同じ窓際の隅に僕のリーサルウエポンはいた。

「里見くん。今ちょっとよろしいでしょうか?数列の宿題で分からないところがあるのですが……」

リーサルウエポンこと里見直人は、センター試験の模擬問題を時間を計って解いている真っ最中だった。

「何?気持ち悪いな。何が里見くんだ。今センター模試やってるから後でな」

「……」

こいつはことの重大さがまるで分かっちゃいない。後回しなんかにして、予期せぬトラブルがもし起こったりして(例えばクマが暴れ出したり)問題が明日までに解けなければ、どう責任を取るつもりだ。

僕は食い下がった。

「いや、後じゃだめだ。今頼む」

直人は問題から顔も上げずに応たえる。

「今、時間を計りながらセンター模試をやってるところなんだ。今じゃなくてもいいじゃん。あとでちゃんと見るから」

この男……。俺がここまでしつこく粘る理由が分からないのか。まったく、にんじんが見えないと走らないタイプかよ。しょうがねえな、にんじんをぶら下げてやるよ。

「ほう。里見くん、随分と強気な発言だね。君は半年以上先のセンター試験と明日の女の子とのウキウキ勉強会を比べても、センター試験を取るのか。さすが医学部志望は違うね」


直人の視線が一瞬で問題用紙から僕の顔へと切り替わった。

僕は勝ち誇った顔で直人を見つめて言い放つ。

「この問題は茂樹にでも聞いて、ウキウキ勉強会は茂樹と二人で参加することにするよ。忙しいところ悪かったね。まあ、半年先のセンター試験がうまくいことを心から願ってるよ。頑張りたまえ」

そういい残してきびすを返す。

そして歩き出そうとする僕は、直人によって引きずり戻された。

「待ちたまえ」

僕は心の中でほくそ笑んだ。

(かかったな。こういう駆け引きで俺は高校を卒業したんだよ。年季が違うぜ)

「長澤くんの言うとおりだ。時代は数列だよ。僕としたことが半年以上先のセンター試験などに目を奪われていた」

僕はわざと、くそまじめな顔を作って彼を諭すような口調で告げる。

「そうだよ、里見くん。目を覚ましてくれたか。時代の波は数列で、その波に乗れたやつが勝ち組になれるんだ」

直人の目も笑っていた。

「本当にすまない。さあ、問題を見せたまえ」

僕は直人の前にプリントを広げる。

「この岡大の問題なんだが、さっぱり分からんのだよ。さすがの里見くんでも少々てこずると思うからゆっくりでいいよ。明日の朝までによろしく頼む」

ところが、直人は問題を見るなりこともなげに言ったのだ。

「ああ。この手の問題は解答パターンがあるんだ。この問題は……そしてその値を最後にnに代入すれば答えが出る。分かった?」

これにはさすがの僕も素直に敬意を払わずにはいられなかった。さすが医学部志望、さすが特進、さすがフォーミュラーツーだ。

「待て。もう一回頼む。その説明をノートに書くからゆっくり頼むぞ」

その夜、僕は何回も解答が書かれたノートを読み返し、空で言えるくらい頭にインプットして次の日を迎えたのだった。

教室に入ると、そこはもう僕の世界だった。

「長澤くーん。昨日の数列のプリントどうだった?頑張ってやってきたんだけど、明らかに答えがおかしいんだよね」

よし!予想通りだ。

「難しかったね。でも(直人が)頑張って解いてみたよ。一応答えは出したけど見る?」

「ありがとう。へぇ、これってこうなるんだ。でもこんなの思いつかないよ」

俺も思いつかなかったよとは当然言わずに、暗記してきた解説をそのままテープレコーダーのように流す。

「ああ。これは解答パターンがあるんだ。この問題は……そしてその値を最後にnに代入すれば答えが出る。分かった?」

その解説を言い終わった時にはもう俺のターンだった。

「長澤くん、すごーい。なんでF‐8なんかにいるの?これってF‐4くらいの人が解く問題らしいよ。これから分からない問題があったら聞いてもいい?」

「もちろん。あ、それならさ、今日の放課後にミスドあたりでうちの寮の奴らと一緒に勉強会しない?」

「いくいく。ミスドめちゃくちゃ好きなんだ」

なにもかもが計算どおりだった。やはり時代は数列だった。

この共産国家ではバイクに乗れたり、カラオケで上手く歌えたりしても、現在の重要案件たちは何一つ解決しないのだ。

この日、僕は寮で特に仲良くなった、特にその中でも女っ気がなさそうな奴らを数人誘ってとても有意義な勉強会を開催した。世の中、持ちつ持たれつである。

得て不得手がそれぞれ違うのだから、得意分野で社会に貢献すればいいのだ。

ところがである。

僕たちから飛ぶための羽を奪い、かごの中の鳥同然の暮らしを強要するこの共産国家の中で、少しでもよい暮らしをするために革命に乗り出し、粉骨砕身した僕に、同寮の奴らがプレゼントしたものはろくでもない通り名一つだけだった。

『女衒の長澤』

このあまりにひどい仕打ちに、僕はがっくりと肩を落とすしかなかった。

それでもいくら僕が革命を起こしたところで、僕たちの生活はそんなに変わることはなかった。

当然だ。いくら革命を試みても僕たちの大統領は相変わらず五時以降の外出を認めてはくれなかったし、僕たちを縛りつけている「大学入試」は、嫌でも一日を過ごすたびに一日近づく。

僕たちは相変わらずクマにおびえて暮らし、毎日出される山のような課題をこなすだけの一日を、まるで機械工場のラインの上のごとく、くり返していた。

そしてそんな一日をくり返しているだけでも、季節は過ぎ、あっというまに梅雨を越えてしまった。

じめじめしとした梅雨の季節が終わったその日の早朝、僕は寝苦しい夜をなんとかやりすごし、やっとのことで眠りについたところだった。

僕は、つかの間の安眠を、それこそ頭のてっぺんから足の先までを使って堪能していた。

そんな七月、第一週目の月曜日、ある男の奇声が寮中に響き渡ったのだ。

富岡健太郎の部屋から発せられた奇声は、共産国家「神坂」灼熱地獄偏の幕開けののろしだった。

この男の通り名は『変人』である。

なぜその通り名がついたか、詳しいことは分からない。ただその形容詞はどこまでも彼にぴったりだった。なぜならば、彼と会話をしても何を言っているのかさっぱり理解できないのである。しかし、本当に理解できないのが、そんな日本語すらまともに話せない彼のクラスがF‐1だということ。

そう、国立理系の最高峰であるフォーミュラーワンのシートに座る男である。彼を知ってから僕は「バカと天才は紙一重」という言葉の意味を心から理解することができた。

僕たちはいっせいに飛び起きると、その奇声が発せられた部屋へと走った。

その部屋からは今なお怒声が響き渡っていた。

「てめえ!どこにとまって鳴いてやがる!俺になんの恨みがあるんだ!!」

恐る恐る部屋をのぞくと、何やら窓に向かって狂人のごとく怒り狂っている富岡健太郎がそこにいた。

僕は、その光景を見て心から見なかったことにしてしまいたい衝動をなんとかねじ伏ると、彼に声をかけた。

「何があったんだ?」

僕の声に振り返った『変人』は怒っているにもかかわらず、半分泣き出しそうな顔をしていた。

そして、彼から事の真相を聞いた僕たちは、全員がその変人に同情したのだった。

事の真相はこうだ。

彼が狂人のごとく怒り狂っている相手はなんと一匹のセミである。

朝日が昇ると同時に一匹のセミが彼の部屋の網戸にとまり、目覚まし時計のごとく大音響で鳴き始めたのだそうだ。そのあまりに無慈悲な行為に、彼はどうしてもそのセミが許せず、セミに向かって怒号を飛ばしたということだった。

僕たちの顔から一気に血の気が引いた。この事実は笑い事ではすまされない。明日は我が身である。

この国の夏には本当に地獄を見ることができる。

僕たちの部屋に冷房器具はない。許されているのは扇風機とうちわだけという、相変わらず僕の人生史上最低の生活水準だ。

言っておくが扇風機など、この国ではなんの意味もない。なぜならば昼間に扇風機を回すと「熱風」が送られてくるのだ。ないほうがましである。

夜、窓を開け放ち、温風の送られてくる扇風機をフル回転させて(夜は熱風から温風に変わる)、暑さに辟易しながらようやく、うとうととし始めたと思ったら、あっという間に朝が来て部屋の温度はかるく四十度を超える。

朝日が昇り、部屋がサウナになると、国民はいっせいに勉強道具を持って自習室へと入る。なぜならば自習室には、この国で唯一の最先端テクノロジー、「エアコン」があるのだ。

この国はどこまでも僕たちの弱みをついてくる。暑ければ自習室で勉強しろと無言のプレッシャーをかけているのだ。

そんな状況下においてこのセミ騒ぎである。笑い事ですまされるはずがない。

この日から、僕たちの定例ミーティングの最重要案件は、とにもかくにも暑さ対策ただ一つとなった。

しかし、一言に暑さ対策と言ってもこればっかりは、なにをどうしてもどうにもならい。寒ければ着込めばいいが、いくら暑くても皮膚までは脱げない。

僕たちがこうじることができた暑さ対策は三つしかなかった。

まず一つ目は、まだ「まとも」と呼べるこの案だ。

それは、とにかく嫌でも自習室に入ってエアコンで調節された最適空間で過ごすこと。

しかし、これには大きな問題があった。

夜、暑くて眠れない僕たちはエアコンという最新鋭機で調節された心地よい空気の中にいると、恐ろしく眠くなるのだ。そして自習室で寝る行為は自殺行為に等しい。

なぜならば寝ているところをクマに見つかると、竹刀で思い切り殴られて、叩き出されたあと、こってりと締め上げられるのである。

ただ、現状においてはクマの力による弾圧など僕たちには小さいことだった。

要は見つからなければいいのだ。

そんな来るか来ないかも分からないクマなどよりも、エアコンの中で眠る方が今の僕たちにははるかに意味のあることだという意見が全会一致となった。

しかし問題はクマだけではない。この対策案の一番の問題点は他にあった。

それはここが自習室であること。これが僕たちを一番悩ませた。

なぜならば、僕たちは自習室で寝る行為を最大のタブーとしていたからだ。

寝ているだけなら迷惑にならないと高校時代は思っていたが、それは大きな間違いだったことに、ここで三ヶ月を過ごしてみて身にしみた。

勉強している横で寝られると、こちらの士気が恐ろしく下がるのである。

よって自習室で寝る奴は寮内で村八分になる。僕たちはクマよりもそちらの方がよっぽど怖かった。

集団生活において人間関係がうまくいかないことは、その集団においての「死」を意味するからだ。

よって、そんな眠るための必要十分条件が満たされた中でも「眠らない!」という確固たる信念を持てない時には、二つ目の対策を実行する必要があった。

それはとにかく脱ぐこと。これに尽きる。

幸いと言っていいのかどうかは、かなり意見が分かれるところだが、寮の中に女はいない。つまりいくら脱いだところで犯罪にはならない。

それを逆手にとった「暑ければ 捨ててしまおう 服なんて」案だ。

この俳句を考えたのは、確か安田哲平だったと思う。この男は高校時代から男子寮で生活していた経歴をもっていて、すでにこの対策は経験済みとのことだった。

クラスは私立文系のK‐5。所詮K‐5の考える男の俳句などこんなものだ。

この案により常に寮内ではパンツ一丁で過ごすことがこの国の常識となった。

場合によってはフルチンも可である。

僕はここで何人もの男がすっ裸で廊下を歩き回る姿を目撃したが、その誰一人としてわいせつ物ちんれつ罪で捕まったりはしなかった。

この夏、僕は常識というものがどれほど脆いかということを身にしみて実感した。

常識とは多数決で決まるのだ。

つまりフルチンで廊下を歩くことを誰もがし始めたら、もはやそれが常識なのである。僕はこれより先の人生において、常識というものをまず疑おうと心に誓ったのだった。

そんなわけで寮内において「服」という代物を身に付けている奴は、頭の狂った奴ということになる。つまり服を着るとトミケンと同じ通り名を付けられるということだ。

冗談じゃない。あの男と同列になるくらいならフルチンの方がまだマシだということで、この案も全会一致で可決された。(断っておくがトミケンは神坂でトップクラスの人気を誇る超売れっ子だった)

この対策案はかなり有効だった。服を一枚ずつ脱いでいくとそれだけ涼しい気がしてくるのだ。パンツ一枚よりもすっ裸の方が断然涼しいと思えるのが不思議だった。

しかし、この対策にも問題はある。

なぜならば、この案は独立国家「神坂」でしか使えない対策なのである。

一歩この国を出れば、そこはもう日本国の常識と法が適用される。

いくら暑かろうが「服」を身に付けなければいけない。

僕たちは、この案を基にして、そこからさらに日本国においても有効な対策案を出すべく、連日頭をひねったのだが、たいした案は出なかった。日本国の常識と法の壁は十九歳の青年達の頭脳で突破できるほど低くはなかったのだ。そんな僕たちをあざ笑うかのように、季節は容赦なく真夏へと向かっていった。

そして、「神坂」の国民達がノイローゼと闘った七月の第二週目が始まった。

その一週間、僕たちは、パンツ一枚で寮を飛び出したい衝動を、忘れかけた理性を無理やり頭からひきずり出しては、ジーンズやシャツに体を通す。そして自転車で片道三十分もある寮から予備校まで道のりを汗だくになりながら、それこそ死ぬ思いで自転車をこぐ毎日を送った。

七月第二週の一週間で僕の体重は四キロも落ちた。

毎日、寮へと戻った瞬間に着ていた服を脱ぎ捨てるのだが、その服たちはどれも、朝、着たときの数倍の重量があった。

人はこんなに汗をかいても死なないんだな……と真剣に人の体の神秘を知った一週間だった。

そんなノイローゼとの闘いに一応の終止符が打たれたのが、七月の第三週の日曜日だった。

それまで遅々として進まなかった灼熱地獄対策会議においてようやく、日本国の常識と法を犯さない条件での有効な対策案が飛び出した。

その三つ目の対策案を出したのが『暴れん坊将軍』の通り名を持つ井ノ原雄二郎だった。

なぜ暴れん坊将軍かというと、まあ言ってしまえば、その名のとおり喧嘩屋である。

しかし誤解してほしくないのだが、彼は別にだれかれかまわずケンカを売る訳ではない。自分の正義を貫くだけなのだ。例えば彼は高校時代に大きなケンカをして停学処分になっているが、それは相手が彼の自転車を盗んだからである。まあ、結果としてその相手は半殺しにされて病院に送られるという惨事にみまわれることになったのだが……。

盗る相手が悪かったと諦めてもらうしかない。

そして雄二郎はこの予備校生活においてもいたるところでケンカをしまくっていた。

どれもこれも些細な(と僕は思う)ことでも許せないと思ったらつかみかかり成敗するのである。雄二郎のケンカの強さはハンパじゃなかった。彼がつかみかかっていく相手はどれもこれも一癖も二癖もありそうな奴らばっかりだったが、あっという間に雄二郎に成敗されてしまった。

そしてついた通り名が『暴れん坊将軍』というわけだ。

ただ、彼はどんな場合においても女には手を出さなかった(口ではボロクソに言っていたが……)。

そんな彼のクラスは、なんとF‐3。

「冗談だろう……?」

と僕は最初に彼のクラスを聞いたときに聞き返してしまった。

なぜならばそのときの彼の容姿からは、フォーミュラースリーというシートを連想させる物は何一つなかったからだ。

僕が彼を始めて見たときの感想は一つ。

『ヤバそう』

だった(当たっていたが)。

そんな暴れん坊将軍と内藤美香が同じクラスという事実を受け入れることが当時の僕にはどうしても無理だった。頭が固かったんだなと思う。

雄二郎は背が百八十センチ近くあり、筋肉質で、髪の毛は丸刈り。

坊主頭がカッコいいと思ったのは初めてだった。

彼はとにかくカッコよかった。顔はヨーロッパ系のハーフのような造りで、かなりのイケメンだったのだが、そんな物は関係なかった。僕がとにかく彼をカッコいいと思ったのは、彼のファッションセンスだった。彼の身に付けているものには何一つとして妥協を感じさせず、もはやそのファッションは一つの芸術といえるほど洗練されていた。

なぜ僕がそれほどまでに彼のファッションに対して深い感慨を受けたかというと、理由はただ一つ。

彼が、僕が知る中で、ただ一人のB‐boyファッションが似合う日本人だったから。

彼がこの夏までに身に付けていた服はどれもこれも数万円するようなものばかりで、そんな高価なブランド物のB系ファッションを完全に着こなしていた。

そんな彼が出した三つ目の対策案に、その場に居合わせた全員が本気で耳を疑った。

「登校時に着用する服はジャージとTシャツとビーチサンダルにしよう」

雄二郎以外の奴が言うならまだ分かる。しかし、雄二郎がそんなことを言うなんてありえない。僕たちの声がハモった。

「エー!!なんで!?」

この後、僕たちは彼の口から語られた事実に、腹がよじれるほど大爆笑したのだった。

順を追って説明しよう。

井ノ原雄二郎がこの第三の対策案を出したのは、日曜日の就寝前のミーティングだった。

雄二郎には中学時代から付き合っているマユミちゃんという彼女がいた。

彼女とは家族を通じて仲良くしているそうなのだが、その彼女がこの日、雄二郎のお母さんから雄二郎に荷物を渡すことを頼まれたらしく、参考書や下着やカップ麵の入ったダンボールを届けに神坂寮へとやってきた。マユミちゃんは雄二郎に荷物を渡して、雄二郎と少し話した後「頑張ってね」と一言激励して帰っていった。

雄二郎は実質、遠距離恋愛のような状態になってしまった彼女に負い目を感じ、彼女のためにも来年こそ合格すると自分を叱咤激励して、彼女を見送り、その足で自習室へと向かった。

そして就寝間際まで自習室から出ることなく勉強に打ち込んだ。

そんな彼はクタクタになった状態で自室へと帰った。そこで彼は携帯電話に一通のメールが届いているのを確認する。

その相手はまぎれもなくマユミちゃんだった。そのメールを見た瞬間、彼は自分の部屋の異変に気がついたのだ。

そのメールを雄二郎が僕たちに見せてくれた。

その内容はこうだった。

「ゆうたん。勉強大変だと思うけど頑張ってね。

今日、久々にゆうたんに会えて、すごく嬉しかったよ。

また少し背が伸びたんじゃない?

あたしのゆうたんは本当にかっこよくて、あたしの自慢の彼氏です。

ただ、あまりにもかっこいいので予備校で出会う女の子達がほうっておかないんじゃないかといつも心配です。

直人君から聞いたよ?予備校でモテまくって調子に乗ってるそうですね?

罰として服と靴を全部持って帰ります。ゆうたんはオシャレしたらダメ!さすがにかわいそうなのでTシャツとジャージとスリッパは置いておいてあげます。

じゃあ暑い日が続いてるけど体に気をつけてね。ゆうたんを誰よりも愛しているマユミより。」

この夜、雄二郎の声にならない声が神坂に響き渡ったのは言うまでもない。

「あんのくそあまあああああああああああああ」

こうして、自分のファッションには絶対に妥協することなく、StussyやPMBや、ションジョーンや、ジョーダンなどをカッコよく着こなして登校していた彼が、七月第三週の月曜日の朝から突然、自分でひざから下を切り取ったボロボロのプーマのジャージと、ユニクロの真っ白い無地のTシャツと、さらには百円ショップで買ったビーチサンダルを身に付けて、愛用の黒いママチャリにまたがった時のおかしかったとことはなかった。

もはやそれは青天の霹靂どころの騒ぎではない。事の真相を知らない奴らは、雄二郎が暑さで狂ったとみんな大騒ぎになったほどの出来事だった。

しかし、そんな寝巻き同然の雄二郎の格好は、不思議なことに雄二郎が着るととてもカッコよく見えたのだった。

しかし、神坂国で暮らす僕たちにとって重要なのはそこではなかった。カッコよりも何よりも、とにかくその格好が涼しげだったことがみんなの心を完全につかんでしまった。

その翌日、七月第三週の火曜日から神坂寮から発車する自転車に乗るむさくるしい男たちは、全員が下はジャージ、上はTシャツ、足はサンダルである。

かくして神坂ジャージ愚連隊の完成である。

この神坂ジャージ愚連隊はあっという間に予備校での話題をさらった。

そしてマユミちゃんには本当に申し訳ないが、この「神坂ジャージ愚連隊」は女の子たちの間で大ブレイクしたのだ。

それにはもちろん伏線がある。

とにかくこの年の神坂寮の住人たちはタレント揃いだった。雄二郎だけではない。直人にしても、茂樹にしても、中山にしても、あのトミケンですら男前なのだ。そして、そんなみんながオシャレには気を使っていた。

おそらく神坂の住人以外は、この男達が寮内では平気でフルチンで歩き回っているなどとはミジンコほども思わないだろう。みんな本当に寮とのギャップが激しすぎるくらい外ではカッコよかったのだ。
それが突然、ある日を境にして全員がジャージ軍団と化したのだ。それは神坂の七不思議とまで言われた。

それが女の子達の興味を引いたのだと思う。

「ねえねえ、あのジャージの人たち何?」

「神坂の人たちだよね?みんなどうしちゃったの?」

「なんかよくわからないけどかわいいかも……」

「神坂の人たちとお友達になってみたい」

こんなことになるとは誰が予想できただろう。僕はマユミちゃんに同情しつつも、このチャンスをものにすべく動き出した。

今から一ヶ月後に迫ったあの一年で最大のイベントを「俺のターン」にするために……。



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あとがき
読破お疲れ様でした。
いかがだったでしょうか?

『格調高い「文学」でなくてもいい。全ての人を感動させられなくてもいい。ただ、読んでくれた人のうち、ほんの何人かでいいから心から共感してくれるような、無茶苦茶せつない小説が書きたい』

これは直木賞作家・村山由佳がデビュー作、「天使の卵」で「小説すばる」新人賞を受賞したときの受賞のことばである。

僕はこの気持ちがすごくよく分かる。
僕の気持ちはこうだ。

『格調高い「文学」でなくてもいい。全ての人を感動させられなくてもいい。ただ、読んでくれた人のうち、ほんの何人かでいいから心から共感してくれるような、無茶苦茶たのしい小説が書きたい』

これを読んでくれたほんの数人がこの「神坂寮」という監獄で僕たちと共に過ごしてみたいと思ってくれたら本望である。
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